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宗教法人智恩寺

住所:京都府宮津市字文珠466
TEL:0772-22-2553
FAX:0772-22-1265

智恩寺とは


雪舟筆の「天橋立図」(国宝)には天橋立南端の本寺も描かれ、現存する多宝塔のほかに、裳階(もこし)付で宝形造とおもわれる建物が 描かれています。現在の文殊堂は裳階(もこし)付ではありませんが、屋根は宝形造であり、桁行柱間は裳階と同じ五間です。この建物が現在の文殊堂と 同じものであるかどうかの確徴はありませんが、内陣の四天柱には十三世紀初めに遡るものがあり、その形姿は中世のたたづまいを継承していると思われます。

文殊堂が現状のように改められたのは、明暦元年(1655)から始められた、宮津藩主京極高国による修理によるものです。 屋根はわずかに照り起(むく)りを 帯びた優美な宝形造で、正面に三間の向拝を葺き降ろしています。現在は銅版葺ですが、宝珠の銘文によって明暦三年(1657)に屋根の葺き替えが行われたことが、 今回の修理で判明しました。旧状は檜皮葺であったとみられます。明暦修理の棟札には、内陣の四天柱は腐っておらず「草創之本柱」であると記されています。 今回の修理中、正和三年(1314)や文永七年(1270)という鎌倉時代除の年号を示す墨書が見つかりました。来迎壁の背面に両界曼荼羅や仏画が描かれていたことも 判明しました。四天柱のなかの一本、すなはち須弥壇に向かって左の柱には、貞和三年(1347)二月から三月にかけた七日間の参籠を記念した次の釘書が 見とめられます。

二月廿七日従三月四日迄  貞和三年三月四日  七ヶ日参籠沙門道俊義超是也



平成九年から十一年までのあしかけ三年をかけて保存修理工事を行いました。工事中、明暦三年(1657)に現在の姿に改修されたことが、お堂の棟の中心を 飾る宝珠露盤の銅版に刻まれた銘文によって判明しました。また、厨子の背後の板壁の両面に壁画が描かれていることも確認されました。前面の壁画は、図様か ら両界曼荼羅図ですが、剥落が甚だしく仏像を描き込んでいたのか、仏像を象徴する梵字であらわした種字曼荼羅であったのかは判然としません。今面は、中央 部に釈迦如来と獅子の背に乗る文殊菩薩と白象の背に乗る普賢菩薩の三尊を置き、その周囲に羅漢を置いた釈迦三尊十六羅漢図と推定されます。