紙本墨画淡彩 89.5×169.5cm 室町時代 京都国立博物館


日本の水墨画を大成したといわれる雪舟(1420~1506?)の描く作例で、数ある天橋立図の中で最も著名な作品です。長く伸びる橋立と対岸の智 恩寺を画面の真中に据え、栗田半島の上空から俯瞰したような橋立の景観です。一見して天橋立と理解できるほど実景に即しています。いわゆる「真景図」に属 しますが、日本の水墨画の中でほとんど最古の作例ということになります。
雪舟は相国地の画僧で、画事を周文に学び、後に周防の大内氏の庇護を受けて山口に雲谷庵に住しま した。応仁二年(1467)から三年間、入明して中国画の古典を模写・学習、さらに中国の自然や風俗を実地に観察したことが、帰国後の画風に大きな影響を 及ぼしました。帰国後は大分に天開図画楼というアトリエを営み、日本の各地を旅した後に、山口に戻り雲谷庵に天開図楼を営んで、中国画の亜流にとどまらな い水墨画の日本化を果たしました。
「天橋立図」は、中国画の学習とその日本化の成果を示す雪舟の代表作の一つとされます。すなわ ち、中国で学んだ西湖図や瀟湘八景図などを下敷きに、その筆法と画面構成を基盤にして、実景の部分部分を、山水画としての枠組みに再構成したものと考えら れます。また、本図の画面の左側の五分の一と下方の五分の一は、紙幅を継ぎ足して描き加えられています。画面の中心部が、実景描写にふさわしい短い筆致が 用いられるのに対して、補足部分は、若干形式化した筆法を用いており、筆法が微妙に異なっています。同一の画面内で異なる筆法を並存させて、実景の生き生 きした感じを自在な筆致で描き出した点に、作者が本図でねらった新しい作画態度、―中国画をもとにした新たな水墨山水画への模索―が示されているといえる でしょう。
なお本図の制作年代については、現在の智恩時多宝塔の建立時期(明応十年/1501)から雪舟の 晩年(八十歳代)の作品とするのが定説になっています。ただし、描かれた塔は現在の多宝塔ではないという説もあり、雪舟の東遊の時期との関連から、六十歳 代初めの作品である可能性が指摘されています。